26歳独立独歩第21話「分からないと言う事」の話

こんばんは。たけぞうです。独立独歩第21話

今回のテーマは「分からないという事」の話

みなさん、「分からないと言う事」にどんな印象をお持ちですか?

分からないとかダサいから言わないよ。勇気出なくて言えないよね。分からない事は分からないってはっきり言うぜ!

いろいろあると思います。いいと思います。

僕は、分からない時は「分からないとい言う事」を意識しています。

いきなり結論ですが。

分からない事を分からないと言えないと、他人に流される人生になるでしょう。

そこに救いはありません。

特に、分かった振りをする人が多い世の中で、

相手を分かった気にさせる人が多い世の中で、

これはとても大切な事なのではないでしょうか。

僕らは「分からないと言う事」にネガティブな感情を持つように教育させられてきました。

そこには、みんなを一律に足並みそろえて教育するという学校教育の背景があります。

先生たちは「分からない事はちゃんと聞くんだよ」と言います。

しかし、何十人といるクラスで一人の分からないに付き合い続けると授業は進みません。

なので知らず知らずのうちに分からないと言えなくなってしまうんですね。

これは大人になっても変わりませんよね。

自分のせいで輪を乱してはいけない。話を止めてはいけない。

そんな気持ちは誰だってあるのではないでしょうか。

別に日本の教育について論じたいとか、誰かを批判したいとかではありません。

これに関しては、誰が悪いわけではないと思っています。

(もっと深く話せば戦後教育とかの話になってくるのですが。。)

とにかく僕が言いたいのは、

自分らしく生きていくためには

「分からいと言う事」がとても肝になるという事。

これは、問題の解き方が分からないとかそういう事の話ではなく

もっと「概念」的な話です。

「分かるけど」なんか「分からない」

みんなが分かっているけど「自分は分からない」

「自分は分かっている」けどみんなが分かっていない

こういう話です。

そういった場面が来た時、数が多い方に合わせたり信頼できる人がいる方に

合わせたりすることってありますよね。

これはそこに対する「分かる」の基準に「他者」を置くという事です。

そうする方が集団としての物事は上手く回るかもしれません。

それがいい場合もあります。

簡単に割り切れる話ではありませんよね。正解なんてありませんから。

どう判断すれば良いのか迷う時は沢山ありますよね。

僕も何度も経験してきました。

そんな中で僕は自分の中で「周りに合わせる」時と「分からないと言う」時の判断基準を見つけることができました。

紹介させてもらいますね。

それは「違和感」です。

選択するときに「違和感」を感じる場合は「分からないと言う」ようにしています。

この「違和感」を感じるというのはとても大切です。

なぜかと言うと「違和感」というのは自分の価値観とずれている時に生じるものだから。

人間には大きく分けて2つの「価値観」があります。

「生まれつき持っている価値観」何があっても変わることがないもの。

「生きていく中で見つけていく価値観」書き換えが可能なもの。もっと別の言い方をすればスキルや能力。

生きて行く上で大切なのはいかに「生まれつき持っている価値観」に沿って物事を選択できるかどうか。

この「価値観」とずれた行動・選択に人は「違和感」を感じてしまいます。

その「違和感」を持ったまま進むと上手く行く事はありません。

自分の心と行動がちぐはぐなのでどこかのタイミングで絶対に上手くいかなくなります。

自分の失敗を振り返ってみると実感できることがあるのではないでしょうか。

なので、僕はこの「違和感」をとにかく意識しています。

中には「最初は違和感を感じるかもしれないけどそのうち慣れるよ」なんて言ってくる人もいますが、信じる必要はないでしょう。

「違和感」は心からのサインだから。

一番怖いのは「違和感」を感じなくなる事。

それはどういうことかというと

後天的に身に着けた価値観で「生まれ持った価値観」を抑え込んでいるという状態。

自分らしさを失うという事です。

僕はこれが一番不幸な事だと思うのです。

人は生まれつきみんな違い、やりたいこと好きな事も違う。

同じ人なんていません。

だとしたら、「何の為に生まれて、自分が何が好きで、何をするときが幸せで、何を求め何ができるのか」を大事にしたいですよね。

それは全て「自分の価値観」を知ることから始まるのではないでしょうか。

そのために、「分からないと言う事」ってすごく大切なのです。

分かった振りをするその先に「自分」はありませんから。

最後にもう少し「価値観」についてお話しますね。

よく「価値観っていう言葉嫌いなんだよね」って言う人っていませんか?

僕は昔いつも言ってました。

「みんな価値観が違うんだからそんな事言う必要ないだろ」って格好つけてました。

あほですね。

「価値感」は他人を傷つけるものでも誰かと比べるものでもありません。

自分らしく生きるためにあるものなんです。

結局この発言の裏には「自分を否定されたくない」っていう気持ちが隠れているんです。

気にしない振りをして自分が一番気にしている。

自分の「価値観」が分かっていない人や見ようとしない人特有の言葉だと思います。

これって「自分の価値観」が分からないという事を認められていないという事なんですよ。

大切なのは「分からないと認める事」なのに。

いつも基準が他人なんですね。

「価値観」は自分らしく生きるために、授けられた「宝物」です。

誰かと比べたり自分を大きく見せたりするためにあるものではないのです。

例え独りになろうとも

分からない事は「分からない」と言えるそんな生き方をしたいですね。

それでは、ばいばい。

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