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人の心に触れた話
こんばんは。たけぞうです。独立独歩第97話
今回のテーマは「人の心に触れた」話
みなさん、「人の心に触れる」ってどう思いますか?
俺も何回か触れたことあるよ。あれは何とも言えない気持ちになるよ。人の心というのはなかなか触れられないよね。
いろいろあると思います。良いと思います。
僕は「人の心に触れる」そんな機会を大切にしたいと思っています。
人の心に触れるには濃い時間を共有しないといけない
「人の心に触れる」とはどういう事でしょうか。
それは、その人の生き方の「根源」にあるものに触れるという事です。
実はこれってなかなか難しい。人間というのは嘘をつく生き物だから。
そして、生き方の根源にあるものって辛い体験や経験から作られるものが多いからです。
人は本当に辛い体験や経験というのは他人に話しませんから。いつも自分の不幸を語る人もこの部分は避けて話していると思います。
その部分を知るためにはどうすれば良いのか。
それは、その人と自分だけの濃い時間を共有するしかありません。
恋人だったり部活の仲間だったり仲の良い親友だったりそういった関係で深い関係を築く事が大切です。
そして、一緒に何かを乗り越えたという経験が心に近づけさせます。
僕らは共鳴する生き物
人の心に触れた時僕らは「共鳴」します。
共鳴するというのはどういうことかと言いうと、その人の考えに共感し本当の意味で自分の事として捉える事が出来るんですね。
「思いやりを持つことが出来るという事」
だから、僕は心に触れた回数が多い人間ほど「思いやり」を持っていると思っています。
そして、それは自分の心という意味でも一緒です。
僕らは自分にも「嘘」をついてしまう。人に思いやりを持てない人は自分の心に触れてみるのも良いでしょう。
どうすれば、自分の心に触れることが出来るのか。
それは、悲しい体験や経験を自分で向き合って掘るしかない。
性善説や性悪説についてはよくわからないけれど、辛い体験や経験がその人を作っています。良くも悪くもね。そのきっかけを経てどういう生きたを選択しているかはその人の人間性としか言いようがありません。
良くても悪くても、自分の生き方の根源がどこからきているのかを知る事です。
そうすれば、自分自身に思いやりが持てます。
自分自身と「共鳴」するのです。そしてそれは他人の事も「思いやれる」という事に繋がります。
尖っているあの人にも理由がある
僕の周りに自分の生き方を貫き尖っている人がいます。
周りの人から、こうした方が良いと言われても譲らない所を持っているそんな人がいます。
会社という組織にいると、自分の意思と真逆な事をやらなければいけない事ってあると思うんですが、その人はいつもぎりぎりな所で自分を曲げません。
そういう生き方にかっこいいなと思う反面僕はどうしてそこまでするのだろうと僅かに疑問に思っていました。そこを受け入れれば出世だって出来るし周りの人もそれを望んでいるわけだから、別に構わないのではと思っていたのです。
そんな時、ある時間を共有した時にそのわけを教えてくれました。
内容は伏せますが、「家族のためにこの生き方は曲げられない」という事でした。
「自分の思いを曲げてまで生きてしまっては申し訳が立たない」そんな思いがあったのです。
そこには、過去の辛い経験がありました。
僕は、この話を聞いた時何とも言えない気持ちになったのを覚えています。
どんな人にもそれをやる理由があって葛藤があってそれでも自分にとって大事なもののために戦っている。
はたして、僕の大事なものは何なのだろう。
そう改めて考えさせてもらえるそんな基調な体験になりました。
勝たないといけないのは「自分との戦いにおける勝ち負け」
この世の中の人全員に僕は大事なものがあると思っています。
それは、別に人に説明できるようなものではなく、本当の心の奥底にある自分の大切なものです。
あるけど気づいていない。
そんな人が多い。そんな印象を受けます。
僕ら小さなころから「常に勝つ事」を要求されてきました。
「学校のテスト」「受験」「部活」「スクールカースト」「就活」「出世」
周りが決めた勝敗の中で勝ち続けるといつの間にか負ける事が「悪」という捉え方になってきます。
おそらく、仕事でもいつも勝つ事を求められていると思います。
別に悪いことだとは思わないんですけど、こうやって人が作った勝負の勝ちにこだわり続けると本当に自分が勝ちたいところが見えなくなってきます。
本当は出世したくないのに、会社の中にいるとやらない自分がだめに見えてくる。
だから、頑張って出世を目指さなければいけない。そういう考えになってくるのです。
でも、もし自分が自分の中にある大事なものを守るために戦うのであれば「目の前の勝負に負けなければいけない」事があります。
変な言葉ですが「負けないと勝てない」
そんな勝負があるのではないでしょうか。
いろいろな考え方があると思うので断言はしませんが、僕は世間の中にある勝ち負けには負けても良いと思っています。(もちろん勝つことは素晴らしいですよ。)
僕らが勝たなければいけないのは「自分との戦いにある勝ち負け」
そう思うのです。
最後に
僕らは勝たないといけないんです。
自分との戦いには勝たないといけないんです。
いつまでも、人の土俵での勝ち負けに没頭していてはいけない。
自分との戦いの土俵に上がるために、自分の心に触れそして人の心に触れるそんな経験を積み重ねていかなければいけません。
「自分のために心に触れる時間を大切にしたい」
そんな風に生きていたいですね。
それでは、ばいばい。