目次
100話目の話
こんばんは。たけぞうです。独立独歩第100話
今回のテーマは「100話目」の話
みなさん、「100話目」の話ってどうおもいます?
よくわからんが、このつまらんブログも100話目かー。感慨深いな。べつに興味ないねはなほじほじ。100話目の話ってなんやねん。
いろいろあると思います。良いと思います。
僕は「100話目」の話しようと思います。
独立独歩を書いた理由
自力でやるしかない
いきなりですが、この100話を区切りでこの「26歳独立独歩」は完結致します。
ま、見てる人はほとんどいないので良いんですけどね。笑
1年間逃げ続けた僕
2019年度僕は自分の人生についていろいろな事を考え沢山の事に挑戦してきました。1年あれば何かしら掴むことが出来るとおもい積極的に人に会い本を読み新しい事に挑戦してきました。
でも、蓋を開けてみれば逃げてしまった自分だけが残っていました。
誰かが教えてくれてその人を信じれば出来ると思っていた
去年スタートした時に僕が考えたことは、師匠を見つけてその人から学べば道は開けるという事。なのでとにかく積極的に人に会いに行きました。
その時々で師匠と呼べるような人に出会え成長させてもらった僕ですが、いつもどこかで何かが違うという思いを抱えていました。自分の思いとのギャップという奴ですね。
一面的に見るとギャップを抱えるのは当たり前です。なぜかというとレベルが違うから。僕のレベルの考えとその人たちのレベルの考え方には乖離が生じます。レベルの高い人たちのステージに上ろうとしたらその人達の近くにいて学びそのギャップを越えなくてはいけません。これは真実です。
ただ、どうしても僕はなりたい自分とそのギャップ埋めた時の自分が一致しないような気持を抱えてしまいました。その人たちが悪いわけではありません。僕が子供だからかもしれないけどそこはどうしても譲れなかったのです。
だから、何かが違うという思いが積みあがった時、このブログで何回も書きましたが「違和感」が積みあがった時僕はそこから逃げるように去っていったのです。
ちなみ、そういう違和感をうけいれられないやつは絶対に成功出来ないと言われています。俺大丈夫かなと本気で思います。
この逃げてしまったという経験を通して僕が思った事それは「自力」で上がるしかないという事。僕は集団や組織にいると流されやすいので流されたくないのであれば「自分でやるしかないと思うようになりました。
まずは自分で決めた事をやり通せるのか?
逃げてきたくせに自分でやれるの?
僕は自力でやるって言ってそこを飛び出したは良いのですが、せっかく1年間積み上げてきたものがなくなってしまったわけですから、また迷子です。
もちろん逃げるまでの過程で学んだことは物凄いあるしそれがなかったら今の僕はありません。(1年前はPCすら持ってなかったしね。笑)
そして、気持ち的にもこんな嫌な事から逃げ出す自分が本当にやれるのか?と疑問を持つことになります。
こういう不安な心って後から湧いてくるんですね。笑
小さなことから始めるしかない
他人のレバレッジを利かすやり方はレベルの高い他人の思いに流されるからやりたくないというよりやるとまた逃げてしまうと思ってしまった僕は、自分で出来る小さなことから積み上げていこうと決心します。そして、それが結果に繋がらなくても出来るのか。それがこのブログでした。
自分で誰も見ていなくても100話書ききれるのか。自分自身で自分を試す意味を込めてこのブログを書き始めたのです。
どうせなら自分の事を振り返ろう
ブログ書くにしても何を書けばいいのだろう?そんな素朴な疑問からスタートした僕です。笑
そこで思ったのが、せっかく道がなくなったんだしもう一度自分のやってきたこと学んだことを振り返るものにしよう。どうせ誰も見てないんだし「目的は続ける事」にあるのだから。
そんな気持ちで「独立独歩」をスタートしました。
100話をやり通せた僕
100話達成
自分で決めた100話決めてこの記事で達成になります。正直最初はワードプレス立ち上げたりドメインてなんやねんとかサーバーてなんやねんとかから入ったのですが何とか無事書き始めることが出来て書ききれて良かったです。
正直100記事何て他の人と比べると大した事はありません。僕もそんなに苦労した感はないです。
ただ、自分で決めた事を誰も見ていない中やり通せたという事は一つ自信になりました。ブログは終わるけどまたらたな小さな目標を決め自分で積み上げていきます。
1年間振り返って思った事
このブログの叩き台になっているのは去年1年間僕が残した日記とボイスメモです。
なので、まだまだ書こうと思えばかけるんですけどね。笑
改めて自分の軌跡を振り返って思ったことは、「成長している」という事です。
大きく目に見えるような結果は出ていないけど確実に成長を感じることが出来ました。過去何に悩んでいて何を考えていたのか、それを振り返るのはとても有意義な時間でした。
今なら出来るようになっている事だったり、その時の考え方は間違いで自分の正解を見つけたとかやっぱり変化しているんですね。
そして、決して同じような日はないという事。どんな日でも自分を成長させてくれる何かは存在しているんだという事に改めて気づきました。
今の自分を鼓舞してくれるのは過去の自分しかいない
これは僕の持論ですが、自分を鼓舞するのは過去の自分です。
今回振り返りながらブログを書いていて強くそう感じました。
正直このブログを書き始めた時はいろんなことが上手くいかなくて道も閉ざされたような気持になっていました。
でもですね、過去の自分の頑張りというのは改めて認識すると今の自分が負けちゃいけないなと思うわけですよ。
中には、なぜ頑張ろうと思ってのか本気でそう思った日の自分とも出会います。何が大切か思い出させてくれるんですね。
とても心強いですし勇気をもらいます。
その時の自分に負けないようにそして未来の自分を鼓舞するために今があるのだとそう思えるのです。
僕らは正解のない世の中を生きている
この1年間を振り返り、思ったことは「正解がない」という事。
正しそうな人が言えば正しく聞こえるし。
正うなさそうな人が言えば間違っているように聞こえる。
僕らが生きている世の中というのはそんな世の中なのではないでしょうか。
だから、あっちに流されこっちに流されとなってしまう自分がいる。
本当は「正解」なんて無いんだと僕は思っています。
あるのは自分にとっての「正解」だけです。
間違うのであれば自分の「正解」に従って間違いたいですよね。
すこしネガティブに聞こえるかもしれないけど人生そういうものなのではないでしょうか。
後悔しない生き方ってそういうものだと思います。
自分の「正解」を信じてやるのであれば後は「なるようになれ!」です。
自分の「正解」を横目に他人の「正解」に従って成功したとしてもずーーーと自分の「正解」が気になったままですよ。
最後に
ひたすらに自分語りをしてきたこのブログもこれにて終了です。
誰も見ていません。ほぼ僕しか見ていません。
自分で見て面白いからいいんです。はい。良いんです。
ただ、繰り返しになるかもしれないけど「誰も見ていない中100話書けた」という事実は僕の中でずっと残るし一つの自信になりました。
そして、記事を書いたことなかった僕が一つで記事を書けた事それ自体に意味があります。
このブログに関しては画面越しの読んでいる人という目線が皆無です。
ただ、自分が書きたい事を書いているだけです。なのでこの話で終わろうと思います。
目的も達成できたしね。
これからは、誰かにとって有益になる記事を書く事にチャレンジしていこうと思います。
どこかであなたがその記事に辿り付いて何かを感じ取ってくれれば幸いです。
最後になりますが「自力」とか「独立独歩」とか「独り」とか書いていますが、誰かから学ぶことを放棄したり誰かを否定する気持ちは微塵もありません。
僕が言いたいのは、「自分らしく生きるために大切な事、必要な事を分かっていたい」という事。
それを自分に言い聞かせるためにこのブログ書いていました。
「自分らしく生きるために自分と戦ってきた」
そんなことを言える日を目指して頑張っていきたいですね。
それでは、ばいばい。