目の前の事象は全て最善
こんばんは。たけぞうです。独立独歩第89話
今回のテーマは「目の前の事象は全て最善」って話
みなさん、「目の前の事象は全て最善」ってどう思いますか?
立派な考え方やな。確かにわかるよ、でもそうは思えない。ほんまけ?どうだろうね。
僕は「目の前の事象は全て最善」と思う事が大切だと思います。
最悪な状況と比べればめっちゃええやん
いま目の前にある状況に満足できない時ってありますよね。
僕はあります。
「どうしてこんな風になってしまったんだろ」
「あそこでこうしておけば良かった」
そんな事を考えることがあります。
でも、ちょっと待ってみてください。なんで僕らは目の前の事に満足しいない時に過去を振り返り「選択が正しければ良くなっていた」と思うんでしょうか。
例えそれを選択していても「もっと悪くなっていた」事だってあるのに。
せっかくだったら、「もっと悪くなっていたはず」そう思った方が目の前の状況を前向きに捉えられませんか?
「あそこでこうやってもっと悪くなっていたと考えるといまは物凄く良い状況だ。」
そう考えることで目の前の事を大切にすることが出来ますよね。
「最悪な状況と比べればめっちゃええやん」
そもそも過去は変えられないっしょ
上で書いた考え方とはちょっと変わるかもしれないのですが、
「そもそも過去は変えられないっしょ」
と僕は思います。過去が持つ意味は変えることは出来るけど過去の事象を変えることは不可能です。もし「僕は過去の事象を変えたよ」という人がいたらごめんなさい。笑
変えられないのであれば、いま目の前で起こっている以上も以下もないんですね。
どういうことかというと「いま目の間の事象が全て」という事です。
それであればやっぱり「最善」であってほしいですよね。
自分にとって一つしかない「目の前の事象」。
これを「最悪」ととらえるか「最善」ととらえるかは自分次第です。
どっちの捉え方の方が良いか一目瞭然ですよね。
「最善」って思えるから前を向ける
「最善」だって思うのはもしかしたら簡単な事ではないのかもしれない。
それでも、割り切ってそう思う方が「前を向ける」と僕は思っています。
「過去」の選択をくよくよ「ああしとけば、こうなっていたのに」「これをしなければこうはなっていなかったのに」と思っていても前を向く事は出来ません。
過去にその選択をしてしまったのもきっと「その時の最善」だったんだと思います。
そう考えればそこから「何を学べるか?」に目が向きますよね。
それは「前を向いている」という事です。
何もかも自分にとって「最善」と思っている方が良いですね。
(サボるの俺にとって最善なんや!これはだめですよ。笑)
最後に
こんな事を書いていますが、「過去」を引きずってしまうというのは物凄くわかります。
どちらかというと僕は引きずるタイプです。笑
ただ、それって自分で自分の首を絞めつけることになるんですね。いつまでたっても苦しさから抜ける事が出来ない。
だから、良いのではないでしょうか。自分のためにあれは良かったんだと思っても。
きっと目の前の事にかかわらず「全ての事象が自分にとって最善」なんですよ。
僕はそんな風に生きていたいですね。
それでは、ばいばい。